私の熱闘甲子園!
今年も甲子園が終わりましたね。毎年、甲子園が始まると思い出すことがあります。
あれは小学3年生の夏。私が住んでいた地域では、
毎年子供たちで競う地区対抗のソフトボール大会があって、
小学3年生・4年生は暗黙の了解で参加しなければならず、私も小学3年生から参加していました。
夏休みくらいから、大会に向けて練習が始まるのですが、
私はもともと運動音痴だし、内弁慶な性格だったので、楽しいとかワクワクとかいう気持ちは全くなく、
嫌だな~嫌だな~と思いながら仕方なく練習に向かいました。
練習場に着くと、そこには、絶対に自ら立候補したであろう元野球部らしき保護者が立っていました。
恰幅がよく、真っ黒に日焼けしており、おそらく社会人チームか何かのユニフォームを着ています。
どっからどうみても鬼コーチです。
そして、予想は的中し、練習では見た目に負けない鬼コーチっぷりを発揮され、
約3か月間、地獄の特訓を受ける日々が始まりました。
子供達の中には、学校で野球部やソフトボール部に所属している子もいて、
戦力は足りているので、もちろん私は補欠です。
与えられたポジションはライトで、
高く飛ぶフライをひたすら取るという練習を繰り返しやったのを覚えています。
ちなみに、ライトに決まった理由は、小学生の試合でライトまで飛ぶようなことは滅多にないので、
万が一出番があったとしても、ただ構えているだけでやり過ごせるからという理由だったそうです(笑)
どうか補欠のまま何事もなく終わりますように…と願い続けて迎えた試合当日。
なんと、最後の最後、もう出番はないだろうと安心しきっていたタイミングで、その時が来ました。
私に少しでも出番をという監督の計らいだったのでしょう。
監督「〇〇(私の名前)、準備はいいか?」
私「え?は、はい…。」
今から準備したとてもう手遅れではないかと思いながら、
屈伸をしたりその場でジャンプをしたりして見せました。
「行ってこい!」と背中を押され、走り出したところから、記憶がありません。
後に、応援に来ていた母親に話を聞くと、
9回裏、勢いよく走り出した私は、終始反対方向を向いて中腰で構え、そこから微動だにしなかったそうです。
私の、最初で最後の甲子園は、知らぬ間に逆転負けしていました。