うーとーとー
沖縄の言葉で、「手を合わせて祈る」という意味です。
6月23日正午。毎年うーとーとーをする日です。
全国的には浸透していませんが、「慰霊の日」という終戦記念日です。
79年前のこの日、沖縄戦が終わりました。
正午になると、1分間の黙とうを知らせるサイレンが町内スピーカーから響きます。
静かに黙とうを捧げたあと、またいつもの日常に戻ります。
慰霊の日は、沖縄の公立学校、市町村役場などの公的機関はお休みです。
子どものころは、やったー休みだ!の感覚でしかなかったのですが、
大人になるにつれ、あぁ、ちゃんとうーとーとーしなきゃ…と思うようになりました。
ちなみに、沖縄戦は島民を巻き込む激しい戦いで、県民の4人に1人が亡くなったとされています。
そんな沖縄戦を経験した、私の祖父の話を少しだけ。
祖父は16歳の頃、通信隊として壊れた電話線などを補修する任務に就いていました。
しかし、山中で銃撃戦に巻き込まれ足を負傷し、野戦病院に担ぎ込まれましたそうです。
しかし、けが人が多く、十分な手当を受けられなかったそうです。
そうこうしている間に周辺は激戦となり、ついには撤退命令が出されました。
そんなとき、一人では歩くことができない祖父に、少しばかりの食料と手りゅう弾が渡されたそうです。
それはつまり、ここに置き去りにする。という意味でした。
当時、上級部隊の撤退が優先されていたようで、
祖父のような最前線に立つ学徒隊は後回しになっており、負傷兵ともなればなおさらです。
唖然として泣く祖父に、同じ部隊の友人が肩を貸してくれ、
どうにかその場から離脱することができた、ということです。
文章にすると簡単ですが、どんなに悲惨な経験だったのか、想像することもできません。
なぜこんなに覚えているかというと、私が小さかった頃、
ことあるごとに祖父がこの話してくれたからです。
ただ、「これがあのときの鉄砲の弾を抜いた傷だよ」と何度も同じ話をするし、
手りゅう弾を渡されたということが、当時の私には何を意味するのかが理解できず、
前も聞いたよ~なんて言っていたと思います。ごめんね、じいちゃん。
でも今となっては、何度も何度も話してくれたことに感謝しています。
沖縄戦は怖いものだ、悲惨なものだ、と私に教えようするわけではなく、
その時あったこと、その時自分がどんな気持ちだったのかを、ただ淡々と伝えてくれました。
平和学習でよくある、「戦争体験者の語り」というと、幼い子どもにはショッキングな内容が多く
、結局そこだけが印象に残ってしまい、戦争ダメ、ゼッタイ。という流れになりがちです。
私はこのやり方がどうにも苦手な子どもでした。
なので、祖父がどういう意図だったのかは分かりませんが、
さらっと話がはじまりさらっと終わる、あの感じが私にはあっていたのかもしれません。
また、どう考えたか、何を感じたかみたいなことも聞かれたことはありません。
ですが、大人になった今でも、6月23日が近づくたびに祖父の話を思い出すということは、
私の中で、大切にしたい記憶になっているのかもれません。
将来、子どもに伝えたいと思うようになるのかはまだ分かりませんが…。
ですが、伝えるときには淡々と、祖父のように。と考えています。
ちなみに、祖父ですが・・・、とても元気です。御年95歳。
95歳の年は沖縄では長寿を盛大に祝う習慣があるので、
その日に向けてコンディションを整えるべく、まさかの健康診断にいったそうです。
最高齢だったでしょうね…。
家族からは「さすがにもういいでしょ…」と突っ込まれながらも、
今年も元気にうーとーとができたそうです。