石崎のおばちゃん
あけましておめでとうございます。
年末年始を利用して、父の住む実家に帰省しました。
私の実家は群馬県で、神戸に住んでいる身としては、お盆と正月くらいしか帰る事ができません。
私が帰省する度に、必ず会いに行くおばちゃんがいます。
それが石崎さんです。
石崎さんとの関係は・・・
私が3歳の時に、母親は、弟を産んですぐに病気で亡くなってしまいました。
子宮がんだったそうです。
幼い二人の子供を抱えた父は大変だったと思います。
産まれたばかりの弟は、父の実家に預け、父は、朝仕事に行く際に3歳の私を、
当時近所に住んでいた石崎さんの家に預け、仕事帰りに私を引き取る、そんな日々でした。
父と、石崎さんの旦那さんとは、会社の同僚で、近所に住んでいたこともあり、
また、石崎家には、私と同い年の男の子もおり、
みるにみかねた石崎さんが私を預かってくれることになったようです。
まあ、昭和の良い時代だったともいえるかもしれません。
母が亡くなって1~2年後に父は再婚をしました。
なので、石崎家で育てられたのは1~2年だったようです。
石崎家での日々は、ぼんやりとしか覚えていませんが、
当時の写真を見ると、笑顔の写真が多く、楽しかったんだろうなぁ、とは思っています。
自分で言うのもなんですが、3歳で母親を亡くした子供に、
楽しかった、という思いにさせてくれている、石崎さん。
素敵です。
そんな、私の育ての親と言っても過言ではない石崎さんには、
帰省する度に会いに行くことにしています。
石崎さんは、私に会う度に、笑顔で泣き出します。
私の手を握り、私の頭をなで、泣き笑いながら「いい子だね~」と。
いい歳のおっさんに向かって「いい子」も何もあったもんじゃありませんが。
まあ、おばちゃんには、そう見えているんだから。
石崎さんには、私の同い年の男の子がいる、と書きましたが、
実はその息子さんは20年程前に病気で亡くなっているのです(旦那さんも10数年前に亡くなってしまいました)。
石崎さんとしては、私に会う度に、その息子さんの事も併せて思い出しているのだと思います。
石崎さんは、一緒にいる間中、私に「いい子だね~」と言い続けるので、
自分でも、「俺は本当はいい奴なのかもしれない」と思えて来たりもします・・・
名残惜しい中、「おばちゃん、じゃあ帰るよ、また来るからね」と別れを告げると、
「次はお盆に会えるね。絶対来てよ」とまた泣き笑いで手を握ってきます。
遠距離恋愛か!
今回は、新年にちなんで、私のルーツと石崎さんのおばちゃんのお話でした。
今年も、「いい子」揃いのキャリアエンジンをどうぞよろしくお願いいたします。