不適切にもほどがある!~山本先生編Part2~
再び、遠い遠い昔。
私が、小学校の3年生の初夏。
今ほどは暑くはなかった昭和の初夏。
大人の皆さんは、車に乗るときはシートベルトなどしていませんでした。
それどころか、飲酒運転さえも平気でしていた、そんな時代でした。
山本先生編Part1については下記をご覧ください。
小学3年生の初夏に、「写生大会」が開かれました。
私たちのクラスは、学校の近くの神社が会場でした。
各自、写生のしやすい場所を見つけて作業に取り掛かります。
私は、神社を斜め左から見上げる場所を見つけ、画板に挟んだ画用紙に絵を描き始めました。
本殿。
その周りに生い茂る、新緑の木々。
本殿に連なる参道。
我ながら、素敵な構図の場所をみつけたなぁ、なんて思いながら、最初は鉛筆で下書き。
そして、絵具で色を塗っていきます。
私は、元々、絵を描くのが好きな子供でした。
小さな頃から漫画を読み始め、その内に、その漫画のイラストを見よう見まねで書き移す、
なんて一人遊びもやったりしていました。
何せ、内気で、心優しい少年だったので(笑)。
なので、写生大会は、どちらかというと楽しみにしていたのだと思います。
そうこうするうちに、神社から帰る時間となり、未完の絵は、自宅で完成させてくる宿題となりました。
絵を描くのが好きだった私は、結構頑張って、その絵を仕上げました。
特に、新緑の木々については、いろいろな緑を使って塗り、かなりいい出来具合に仕上がりました。
「なんだか、とても上手く描けた」と、
完成した絵を見て、満足感があった記憶があります。
母親にも見せたりして。母も「上手に描けたね~」なんて褒めてくれて。
翌日、学校に行き、担任の山本先生に提出。
そして、数日後、写生大会の結果発表がありました。
先生から、「ウチのクラスの入選は〇〇」と、別の児童の名前が呼ばれました。
そうなのか~、あんなに上手く描けたのに、入選できなかったのか~、と少し落ち込んでいる中、
山本先生が、私に向かって「おい〇〇」と呼びかけました。
はい?と返事をする私に、クラス皆の前で山本先生はこう言いました。
「お前は、自分で仕上げずに家の人に描いてもらっただろう?」
「3年生が、あんなに上手に描けるわけがない!」
「お前の絵は失格だ!」
?
??
???
私は、あまりの出来事にビックリしすぎて、声が出せませんでした。
多分、軽いパニックになっていたのだと思います。
・・・上手に描けただけで、失格?
もし、私が今の私であれば、せめて中学生時代以降の私であれば、
「先生、何言うてんねん!誰にも手伝ってもらってなんかないわ!」
「自分の勝手な思い込みで、子供を疑うなんて最低な大人やな!」
「あんたみたいな、しょーもない大人が、子供の可能性とやる気を奪うんや!」
くらいは言えたと思いますが、
残念ながら、当時の私は、内気でおとなしい少年でした。
何なら「怒り」という感情をあまり表現したことさえなかったかもしれません。
(しかも、当時の私は関西弁を使えませんでした。あ、これは今もです)
繰り返しますが、私はビックリしすぎて、声が出せませんでした。
ショックとパニックで何も反論できない私を見て、
山本先生は少し満足そうな顔をしていたような気がします。
多分、「俺のような大人の目はごまかせないぞ」とでも思っていたのだと思います。
かくして、私が少しワクワクしながら取り組んだ写生大会は、
予想もしなかった結果に終わってしまいました。
それ以来、私が絵を描く機会は、減ったような気がします。
よく覚えてはいませんが、多分、そんな気がします。
そして、私が、その後の写生大会で入選した記憶もありません。
あの時、山本先生が、私の絵を評価してくれていたら。
そうしてくれていたら。
もしかしたら、今頃私は、絵心のある、センスのいい大人になれていたかもしれません。
もしかしたら、今頃私は、もっと素直で真っすぐな性格をした大人になれていたかもしれません。
私の周りの皆さん、ごめんなさい。
私がこうなってしまったのは、きっと、山本先生のせいなんです。