「ゆとり」とは
皆さんにとって「ゆとり」とはどのようなものでしょうか?
以前、谷川俊太郎さんのエッセイ集「ひとり暮らし」を読みました。
この表紙、おそらくアデリーペンギンがモデルですね。
余談ですが、世界には18種類のペンギンがおり、そのほとんどが南半球に生息。
ガラパゴスペンギンだけが唯一赤道近く、その名の通り<ガラパゴス諸島>に生息しています。
ペンギンの祖先はウミガラスとも言われていますが、
過去に人間が乱獲したことによって絶滅してしまいました。
あっ、皇帝ペンギンの名前の由来って知ってます?
キングペンギンが初めて発見されたとき、
「こりゃでけぇ!ペンギンの王様だ!キングペンギンだ!」と名付けられたのですが、
そのあとにもっとでかいペンギンが見つかったので「皇帝ペンギン」と名付けられたそうです。
笑えますよね!
「やけにペンギンに詳しい王将の店員やな」と、いろいろと勘違いされてしまいそうなので、この辺で…。
お察しの通り、ペンギンが好きで、ジャケ買いしました。
ペンギンを見るためにひとりで名古屋水族館に出向いた時には、
友人や親戚一同から「傷心旅行か?」と心配されたものです。
それでは「ゆとり」の話をします。
本でもこのことについて触れていますが、
私がゆとりとは何かと考えたとき、一番に頭に浮かんだのが「お金」と「時間」でした。
なんとなく、これらがあれば「ゆとりを作れる」感じがするからかもしれません。
しかし本には
「財産を失うことを恐れる大金持ちと、何ひとつ所有せずに道端に生きるものぐさ太郎」
という一文があり、
たぶん多くの人がものぐさ太郎に圧倒的なゆとりを感じるよね、とも書かれていました。
あっ私も同意見…。
結局、結論として書かれていた内容は、
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「ゆとりとはまず空間のことである」
「心を動かすことのできる空間、あるいは隙間」
「固定されようとする感情や思考をほぐす働きをもつのではないだろうか」
「名付けることのむずかしいそれを、私たちはゆとりという仮の名で呼んでいる」
「自分の心を突き放し、相対化して見ることのできる視点、心の外のもうひとつの心」
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はぇ~~!なんかややこしいが、直接的~~!たぶん、絶対、それがゆとりぃ~~~!
ということで、自分はいつ「ゆとり」を感じるのか、血眼になって探しながら1週間ほど過ごしてみた結果、
私にとってのゆとりは銭湯の帰り道、自転車に乗っている瞬間でした。
思いもよらないタイミングでゆとりに出くわしてしまったので、
本に書かれていた結論と自分の心が一致したのかはさっぱりわかりませんが
誰とも比べず(私の方がほかほかやぞ!とか)、一ミリも不安や焦りを感じなかったあの瞬間は、
まごうことなき「ゆとり」でした。
しょうもない結論で申し訳ありません。
ただ、気づいた瞬間すごく幸せな気分になったので、「ゆとり探し」おススメです。